大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和48年(ワ)8557号 判決

原告 稗田康夫

右訴訟代理人弁護士 弘中惇一郎

被告 東京都

右代表者知事 美濃部亮吉

右指定代理人 渡辺司

〈ほか二名〉

被告 国

右代表者法務大臣 福田一

右指定代理人 小沢義彦

〈ほか二名〉

主文

一  被告東京都は原告に対し、金一〇〇万円とこれに対する昭和四八年一一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告東京都に対するその余の請求並びに被告国に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用中、原告と被告東京都との間に生じた部分はこれを二分し、その一を原告の負担、その余を被告東京都の負担とし、原告と被告国との間に生じた部分は全部原告の負担とする。

四  この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告に対し、金二〇〇万円とこれに対する昭和四八年一一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告東京都)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(被告国)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  本件事案の概要

原告は昭和四六年六月一七日午後八時二〇分頃、東京都渋谷区渋谷一丁目二四番先明治通り路上で、警視庁警察官甲斐譲児及び同芦馬賢治により警視庁機動隊員に対する投石行為の現行犯人として逮捕され、新宿警察署に留置された後、東京地方検察庁検察官検事鹿道正和の東京地方裁判所裁判官に対する勾留請求によって同月二〇日から別紙(一)のような被疑事実により引続き同警察署に勾留され、同検察庁検察官事務取扱検事宮沢正剛の取調べを受けたうえ、同年七月九日同検察庁検察官検事原武志により別紙(二)のような公務執行妨害の公訴事実により起訴された。

第一審の東京地方裁判所は昭和四七年七月二七日原告に対し懲役六月、執行猶予一年の有罪判決を言渡したが、控訴審である東京高等裁判所は昭和四八年五月一八日原判決を破棄して原告を無罪とする判決を言渡し、右判決は上告されることなく確定した。

《以下事実省略》

理由

一  請求の原因第1項の事実は当事者間に争いがない。

二  そこでまず、本件逮捕の違法性の有無について判断する。

(一)  原告が昭和四六年六月一七日沖縄返還協定に反対する集会の開催された宮下公園に赴いたこと、デモ隊と機動隊との衝突により同公園前明治通り路上が著しく混乱したこと、同公園内にいた一部の者から本件歩道橋上の機動隊員に対し投石があったこと、警察官甲斐、芦馬両名が黒沢警部とともに私服で採証・検挙等の活動にあたっていて、同日午後八時一二分頃から本件階段下附近の明治通り歩道上に位置し、本件歩道橋上の機動隊員に対する投石を観察していたことは、いずれも原告と被告東京都との間に争いがない。しかして、右事実に《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1)  原告は昭和四六年六月一七日、宮下公園における沖縄返還協定に反対する集会を見物に出掛け、帰途渋谷近辺を徘徊しようと考え、午後七時頃肩書住所地を出て渋谷駅に至り、午後七時四五分頃同公園原宿寄り入口に到達したところ、既に集会が終了し、参加者約一〇〇〇名がデモ隊の隊列を組んで公園入口から明治通り車道上を渋谷駅方面に向け進んでいたので、しばらくデモ隊の行進を見物した後、明治通り歩道上をデモ隊と並進する形で渋谷駅方向に引返しはじめた。

(2)  ところが、原告が本件歩道橋からやや渋谷駅寄り附近に至った際、前方でデモ隊の先頭部分が警備にあたっていた警視庁第八機動隊と衝突し、デモ隊の列が崩れて右機動隊の検挙活動に追われながら原宿方向に逃走しはじめたため、附近の明治通り路上が著しく混乱したので、原告は一時これを避難しようとして、約一〇〇名ないし二〇〇名の群衆とともに午後八時過ぎ頃本件階段を昇り宮下公園内に入った。

(3)  しかし、デモ隊の一部は本件歩道橋に昇り、検挙活動にあたっていた第八機動隊員に対し投石を始めたので、第八機動隊支援のため来合わせていた第一機動隊の一個中隊数十名が午後八時一〇分頃明治通り東側歩道上階段から本件歩道橋に昇り、投石者を排除しながら同公園入口の方に進んだところ、さらに公園入口附近にいた者から投石を受け前進することができなくなった。そのため、右機動隊員は本件歩道橋中央部附近で携帯していた盾を構えて防禦態勢を執ったが、公園入口附近にいた約二〇名の者から引続き投石を受けた。

(4)  警察官黒沢、甲斐及び芦馬の三名は、当日他の一五名の警察官と共に、黒沢警部の指揮を受けて私服で採証・検挙等の活動に従事していたが、その途中他の警察官と離れ右三名のみとなり、午後八時一二分頃本件階段下附近に到着して、明治通り西側歩道上から本件歩道橋上の第一機動隊員に対する前記投石を観察していた。

(5)  原告は、宮下公園の入口附近からしばらく明治通りにおける機動隊員の検挙を傍観していたが、自己の周囲で前記機動隊員に対する投石が始まったので、公園内における検挙の巻添えになることを憂慮して速やかにその場から離脱しようと考え、奥の出口を探したが見つからなかったので、やむなく本件階段から明治通り歩道上に降りて右公園から脱出しようとした。

以上の各事実を認めることができる。

(二)  しかして、原告が本件階段を降りて明治通りを歩行中、警察官甲斐、芦馬の両名により、原告が右階段を降りる途中で歩道橋上の機動隊員に対し投石をしたとの被疑事実のもとに現行犯逮捕されたことは右当事者間に争いがない。

原告は甲斐、芦馬両名が何らの犯行も目撃していないのに、違法行為集団の一員として原告を違法逮捕(でっちあげ逮捕)した旨主張するけれども、これを認めるに足る証拠はない。したがって、右主張は採用の限りでない。

そこで原告主張の誤認逮捕の点について検討するに、被告東京都は、原告が本件階段の上から歩道橋上の機動隊員に対し一回投石し、さらに踊り場に降りてきて再び投石した後、ゆっくりと降りてきたものであって、犯行を誤認したものではない旨抗争するので、以下この点について検討を加える。

(1)  原告本人は、前記認定のとおり宮下公園から避難するため頭部を両手でかかえるようにして保護しながら、投石の行なわれているその下を潜るような形で本件階段を駈け降り、途中で立ち止ったり投石したことはない旨供述しており、《証拠省略》によれば、原告に対する公務執行妨害被告事件の第一、二審(以下本件刑事事件という)においても、ほぼ同様の供述をしていることが認められる。しかして、《証拠省略》によれば、訴外(本件刑事事件の証人)渡辺岩吉は、事件当日午後八時頃から八時三〇分頃までの間、本件階段下ビル街のはずれ附近で歩道橋上の機動隊員に対する投石を見ていたところ、本件階段を小走りに降りてくる原告に踊り場の二、三段上あたりで気付き、不審に思っていたが、投石するようなことはしていなかった旨の供述記載がある。

ところで、《証拠省略》によれば、右渡辺が本件歩道橋上の機動隊員に対する投石を見ていた位置から、階段を降りてくる原告との間に障害物が介在して見えにくかった筈であるとはいえないし、渡辺と原告とは同じ東京大学大学院の学生で専攻も異なること、原告は本件階段を降りて来た際、たまたま渡辺を見かけたので、学内で見た記憶をもとに捜し出すまで互いに交際はなかったことが認められる。してみると、右渡辺が本件刑事事件において、原告のため積極的に虚偽の供述をしたものとは考えられない。

(2)  他方、証人甲斐譲児、同芦馬賢治は、原告が被告東京都主張のように二度にわたり投石したのを現認した旨それぞれ供述しており、《証拠省略》によれば、右両名及び黒沢三名の作成にかかる現行犯人逮捕手続書の現行犯人と認めた理由及び事実の要旨には、右同旨の事実が記載されており、さらに警察官芦馬は、原告が階段途中で玉子大の石を、二度目は階段踊り場で手拳大の石を、それぞれ投石したのを目撃した旨の現認報告書を作成していること、また、甲斐、芦馬両名とも宮沢検事の取調べに対し後記認定のとおり詳細にその旨の供述をしているほか、本件刑事事件においても同様の供述をしていたことが認められる。しかし、甲斐、芦馬両名とも現認したという原告の第一回目の投石について、特に他の投石者の行為と識別してこれを注視していたものではなく、原告が階段をゆっくり降りてきたので奇異に感じ注目していたというのであって、職務上投石者のみならず周囲の状況にも配慮が必要であり、時間的にも現場の周辺が暗かった等の事情並びに黒沢警部が原告の投石場面を現認していないのに、甲斐、芦馬の両名のみ本件階段上で一人投石する者の動作、石の大きさ、その軌跡まで現認していた旨微細な点にわたって供述並びに記載しながら、その石の出所、痕跡については全く確認していないし、被害警察官の裏付捜査もなされていないのみならず、右供述による原告の行動自体きわめて不自然であることなどから考えると、むしろ、原告主張のように投石を避けるため両手で頭をかかえるようにして本件階段を駈け降りてきたところを、その挙動から投石者の一人であると誤認したものと推測される。

しかも、《証拠省略》によると、第一機動隊第五中隊記録員として本件歩道橋上にいた太田成昭は、宮沢検事の取調べに対し本件階段上及び踊り場からも投石があった旨供述し、本件刑事事件においても同様の供述をした記載があるが、右投石者の中に原告がいたものとは述べていないし、右供述記載も投石を受けて防禦に専念していた際の単なる印象を述べたに過ぎないことが窺える。

さらに、前掲各証拠によると、原告が本件階段を降りて間もなく、第八機動隊一個中隊が第一機動隊支援のため本件歩道橋に昇り、投石者との間に激しい攻防が行われていたこと、原告は本件階段を降りた後、明治通りを約五〇メートル渋谷駅方向にゆっくり歩いて行ったところ、背後から突然逮捕され、身体の捜索等何らの採証活動も行われなかったこと、その場には、他の被検挙者を連行した機動隊員数名がいて警察の輸送車に乗り込んでいたこと、本件階段下附近の明治通り上には機動隊や警察の車両もいたことが認められる(《証拠判断省略》)。右認定のような状況下において、原告が本件階段の途中で歩道橋上の機動隊員に対し二回も投石しながら、大胆にもゆっくりと警察官のいる明治通り路上に降りてきたとは、到底考えられない。

以上認定の事実関係からすると、原告は、宮下公園の入口で投石していた者の脇を通って避難し、両手で頭をかかえるようにして投石からこれを保護しながら、本件階段を下まで駈け降りてきたものであり、警察官甲斐、芦馬の両名は、原告の右行動を階段下附近から見ていて、原告が機動隊員に対し投石していた集団の一員と判断し、階段を降りる途中で投石したものと誤認逮捕したものと認められ、他に右認定を覆えすに足る的確な証拠は存しない。

(三)  ところで、警察官において何らの犯罪をしていない者を犯罪を行なったと誤認してこれを現行犯逮捕した場合、右逮捕は特段の事情のない限り過失に基づく違法なものと解するのが相当であり、本件において、右特段の事情を認めるに足る証拠はないから、甲斐、芦馬両名が原告を逮捕した行為は違法であるといわざるを得ない。

三  次に検察官の本件勾留請求、犯罪の捜査及び起訴の違法性の有無について順次判断する。

(一)  鹿道検事が昭和四六年六月二〇日別紙(一)のような被疑事実により東京地方裁判所裁判官に原告の勾留請求をし、その結果、引続き新宿警察署に原告が勾留されたことは原告と被告国との間において争いがない。

原告は、本件勾留請求当時原告につき罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由及び資料もないのに逮捕事実と全く異なる被疑事実で違法に勾留請求した旨主張するので、まずこの点について検討する。

(1)  勾留事実は、原告の本件階段からの歩道橋上の第一機動隊員に対する投石行為を直接内容とするものでなく、別紙(一)のような兇器準備集合・公務執行妨害の被疑事実であることは明らかであるところ、《証拠省略》によると、原告に対する起訴事実は別紙(二)のように本件階段における右機動隊員に対する投石行為にして公務執行妨害のみとなり、いわゆる勾留中求令状により勾留状差替えの手続が執られたことが認められる。

(2)  しかし、《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

(イ) 昭和四六年六月、沖縄返還協定の調印に反対し街頭闘争と称する集団による違法行為が相次いで発生したが、同月一七日には宮下公園、明治公園等における集会、デモ行進に伴う集団違法行為により東京地方検察庁管内で約七〇〇名の被検挙者があり、同検察庁検察官は全国的な地検の応援を求めこれら多数の被疑者の送致を受けて勾留請求等の手続をした。

(ロ) 右被疑者らの勾留請求をした当時、同検察庁で蒐集した捜査資料によると、当日宮下公園前明治通りにおいていわゆる反帝学評、ブント、フロント等の各セクトを中心とするデモ隊が渋谷駅方向へ進み、警備にあたっていた警察機動隊に対し、投石、火炎びんの投擲等の暴行を加え、兇器準備集合・公務執行妨害に該当する犯行を行なった。そして午後八時頃から八時一〇分頃までの間デモ隊は機動隊の検挙により、本件歩道橋前後の路上で一〇七名の逮捕者を出し、一旦後退して態勢を立て直し再び渋谷駅方向に向い、右機動隊に対し前同様の犯行を繰り返し、八時一三分頃から八時二〇分頃までの間の検挙により本件歩道橋附近で五六名の逮捕者を出した。右二度にわたる犯行は、多数の者が共謀のうえ警察官に加えた公務執行妨害等の犯罪を疑うに足りる相当の理由があった。そこで同検察庁では、合計一六三名の逮捕者につき明治通りにおける機動隊に対する最初の犯行と二度目の犯行とに大別し、それぞれ第一ラウンド、第二ラウンドと称して、逮捕者らを集団的な兇器準備集合・公務執行妨害の共謀者として、各ラウンドごとに分け共通の被疑事実により勾留請求をし、その後右内容の被逮捕者分類図を作成した。原告に対する本件勾留事実は、右第二ラウンドの被疑者らと共通の被疑事実であり、犯行場所は「東京都渋谷区渋谷一丁目一五番先路上」と表現して、宮下公園前の明治通り路上を特定し、また被害機動隊はその主力で活動状況も比較的明確であった「警視庁第八機動隊」と特定された。

(ハ) 原告の新宿警察署から同検察庁に対する送致事実は、原告が多数の者と共謀のうえ、昭和四六年六月一七日午後八時一五分頃、本件階段附近において、歩道橋上で警備にあたっていた第八機動隊約二〇名のものに対し、投石して公務の執行を妨害したというものであり、送致書に添付された警察官黒沢、甲斐、芦馬三名の作成にかかる現行犯人逮捕手続書及び芦馬作成にかかる現認報告書の記載によれば、原告が右三名の前方約一〇メートルの宮下公園入口階段上から三・四段目で約一五メートル離れた歩道橋上の機動隊員に対し狙いうちに投石するのを現認したこと、原告は更に階段踊り場に降りると右手に持った手拳大の石を大きくモーションをつけて機動隊員に向け投げつけたので公務執行妨害の現行犯人と認めたというのである。同検察庁では、右送致にかかる資料に基づき、原告にかかる犯罪事実を検討した結果、原告については、その犯行の態様、時間、場所、被害機動隊名等に照らし前記第二ラウンドの集団と共謀関係があったものと認め、制限時間内に鹿道検事が原告につき前記の被疑事実で勾留請求したものである。

(ニ) しかし、その後の捜査結果により、原告がいかなるセクトにも属していないこと、原告が投石したとされる被害機動隊名は第八機動隊でなく第一機動隊であったことが判明したので、原告にかかる起訴事実は前記勾留事実を別紙(二)のように公務執行妨害のみに改め、適正を期するためいわゆる求令状の手続が執られた。

以上の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(3)  ところで被疑者の勾留には、当該被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由すなわち被疑事実について通常人の合理的な判断により犯罪の嫌疑を首肯することができる理由が必要であると解すべきであり、検察官は被疑者の勾留請求にあたり右理由の存在を明らかにし、並びに資料の提供をしなければならない。

これを本件についてみるに、前記認定のとおり勾留請求当時、原告に関しては前記現行犯人逮捕手続書及び現認報告書等が送付されており、右資料と第二ラウンドの集団による犯罪事実にかかる資料とを総合すれば、原告の投石を現認したとする警察官が存在し、右犯行時間が午後八時一五分頃であって、第二ラウンドにおける逮捕者を出した午後八時一三分頃から八時二〇分頃までの間であり、右犯行の場所、態様が第二ラウンドにおける集団の行為と同一であることなどが一応認められる。したがって、原告が第二ラウンドの犯行をなした集団と共謀関係を有していた嫌疑につき、首肯することができる合理的理由が存しなかったものということはできない。

また、起訴事実と勾留事実とが同一内容ではない点及びいわゆる求令状の手続が執られた点についても、前示認定のとおり原告を勾留した後の捜査の結果判明した事情に基づくものであるから、勾留請求当時における勾留理由の存否に影響を及ぼすものではない。

してみると、本件勾留請求当時、原告を第二ラウンドの共謀による集団的兇器準備集合・公務執行妨害の事実により勾留請求した鹿道検事の行為が違法であったとはいえないから、この点に関する原告の主張は理由がない。

(二)  次に捜査の違法性の有無について検討する。

宮沢検事が原告の取調べにあたり自白を内容とする供述調書二通を作成したことは、右当事者間に争いがない。

しかして、《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  宮沢検事は富山地検から東京地検へ本件捜査の応援に出張し、班長原検事の下で原告を含む六・一七事件被疑者約一〇名にかかる捜査の担当を命ぜられ、原告に対する被疑事件の送致書類を受取り、新宿警察署において被疑者、参考人等の取調べを開始した。

(2)  昭和四六年六月一九日頃、同検事は原告が他の検察官の取調べに対し犯行を否認していたので、逮捕警察官の一人である黒沢警部に対し逮捕時の状況につき説明を求めたところ、同警部は原告の投石を現認していない旨述べた。

(3)  そこで同月二三日同検事は甲斐警察官を取調べたところ、同警察官は、本件階段の歩道上で黒沢、芦馬両名と採証活動をしていた際、公園及び階段の方から本件歩道橋上の機動隊に向けて投石しているのが判明したので、これを注視していると、右機動隊に投石した一人の男を目撃したこと、階段附近にはその男だけいて近くに街路灯が点っていて明るかったので、一回目の投石がよく見えたこと、さらに注意深くその男を見ていると、午後八時二〇分頃階段の踊り場まで降りてきて二回目の投石をしたこと、このときは、右手に手拳大の大きさの石を持ち大きなモーションで投げ、石は歩道橋の機動隊の方に飛んでいったこと、右投石後、男は階段を降り渋谷駅の方に向い歩きかけたので、芦馬と二人で黒沢警部に耳打ちし、その男が投石したことを告げて三人で検挙する態勢に入ったこと、その頃附近には野次馬がいるだけで他に警察官はいなかったので二・三メートル後から追尾し護送車が近くに来た機会を狙って三人で逮捕し、護送車に乗せたこと、右逮捕した男が投石した原告に間違いないことを述べたので、現認等メモを添付してそのの旨の供述調書を作成した。

さらに同年七月二日、再び甲斐を取調べたところ、同人は、その男が階段の上から二、三段目で一回目の投石をし、集団の一員と考えられること、その男が頭に手を挙げたことはなく、投石後は手をズボンのポケットに突込むようにしてゆっくりと降りてきたので誤認したものでないことを述べ、逮捕現場見取図を提出したので、これを添付した供述調書を作成した。

(4)  同年六月二三日及び同年七月二日、同検事は現認警察官芦馬を取調べたところ、七月二日の取調べに際し、甲斐の前記供述と同様に投石している男を注視していると、その男は階段の上から二・三段降りた所で一回目の投石をし、そのあとゆっくり階段を降りてきて途中の広い所で二回目の投石をしたのを現認したこと、一回目はステップを踏んで馬力をつけて投石し、二回目は右手でオーバースローで歩道橋の機動隊に向けて投げ、石は弧を画いて飛んでいったことを述べたので、現認メモ及び現場見取図を添付してその旨の供述調書を作成した。

(5)  同年七月七日同検事は、さらに警察官太田成昭を取調べたところ、同人は、第一機動隊第五中隊の記録員として本件歩道橋にいたとき、宮下公園の方向から四〇名位の者に投石されたこと及び本件階段の途中や踊り場からも投石があったように記憶していることを述べたので、同旨の供述調書を作成した。

(6)  その間、同年七月一日午後八時頃、本件犯行時と同時刻頃に同検事は、黒沢、甲斐、芦馬の三名を伴い、本件階段附近に赴き原告の投石の現認及び逮捕の状況について具体的に指示説明を受け、警察官の供述の信憑性について検討したが、実況見分調書は作成しなかった。

(7)  原告は宮沢検事の取調べに対し、当初は投石の事実を否認していたが、同年七月一日、本件階段の上から歩道橋上の機動隊に対し一回投石したが、階段の途中で投石したことはないこと、投石後一時その場から移動したが、不安になって、頭を両手に置いて本件階段を駈け降り、渋谷駅の方向に少し歩いて行ったところ逮捕された旨供述し、さらに同月三日、一回目の投石の後、階段を降りて中央の広い所で二回目の投石をしたこと、前回に一回目の投石後に公圏の奥の方へ移動した旨述べたのは間違いである旨犯行事実を認める供述をしたので、いずれもその旨の供述調書が作成された。

以上の各事実が認められる。

ところで、原告は前記自白を内容とする原告の供述は、宮沢検事が自白すれば起訴猶予処分とすることを原告に約束し、また、原告の母稗田もも代及び弁護人菊池政弁護士にも同様の約束をしたので、意に反して自白した利益誘導による虚偽の内容のものである旨主張し、原告本人及び証人稗田もも代の各供述には、右主張に沿うような供述があり、また、甲第一一号証の二ないし四(稗田もも代の日記帳)には、宮沢検事が検事のいう事をきけば起訴猶予となるよう尽力する旨述べたごとき記載があるけれども、右供述並びに記載部分は《証拠省略》に対比してにわかに措信できない。また、原告本人の供述によると、本件刑事事件において、原告の自白を内容とする前記供述調書二通が検察官によって取調べの請求がなされ、これに対し、弁護人から任意性が争われると直ちに撤回し、その後は刑訴法三二二条一項による取調べの請求もされなかったことが認められるが、右一事をもって、原告主張のような利益誘導による取調べがなされたものとは推断できないし、他に同検事が欺罔又は脅迫して違法な取調べをした事実を認めるに足る証拠はない。

却って、《証拠省略》によれば、宮沢検事は集団事件捜査の応援に来ていたものであり、上司である原検事の下で共同捜査に携り、その捜査結果並びに意見を上司に報告具申し、その判断指揮を受けていたものであるから、上司の決済を得ないで起訴、不起訴の最終的な事件処理を単独で決定する権限は与えられていなかったこと、また宮沢検事が原告の母もも代に面接したことは一度もないこと、本件被疑事件は原告の自白調書がなくとも、現行犯逮捕した二名の現認警察官がいたので右警察官の供述を信用し嫌疑は十分であり、公判を維持できると思料されていたため、無理に原告の自白調書を作成する必要性は全くなかったことが認められる。

むしろ、原告本人の供述によれば、原告は、新宿警察署に留置中、同房者の意見及び菊池弁護士らの勧告に従い、早期の釈放を期待して自ら進んで警察官の供述に沿う虚偽の自白をしたことが推認できる。

他に本件において、宮沢検事の捜査に違法な点があったものとは認められない。したがって、この点に関する原告の主張は採用できない。

(三)  次に本件起訴の違法性の有無について検討する。

(1)  原検事が別紙(二)のような起訴事実により原告を東京地方裁判所に起訴したことは、右当事者間に争いがない。ところで検察官による起訴は、無罪判決が確定したからといって当然に要件を欠く違法なものということはできず、起訴時において将来有罪判決を得る合理的な理由が存在していた限り当該起訴は適法なものと解するのが相当である。そして、右にいう将来有罪判決を得る合理的な理由とは、有罪判決を十分期待しうる程度の嫌疑が客観的に存在していたことをいい、逮捕、勾留の要件である罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由程度の嫌疑では十分でないが、裁判所が有罪判決をする場合のように合理的な疑いをさしはさむ余地のない程度にまで嫌疑が存在することは必要でないと解される。しかして、当該起訴が右の基準により違法であったか否かを判断するにあたっては、検察官が起訴時に蒐集していた資料及び蒐集することが可能であった資料を斟酌することを要し、かつそれで足るものと解するを相当とする。

(2)  そこで、これを本件について検討するに、前記認定の事実によると、原告の犯行を直接認定しうる資料としては原告の自白を除くと、甲斐、芦馬両名の各供述並びに現行犯人逮捕手続書及び現認報告書が存在するところ、甲斐、芦馬両名の各供述調書の間には、多少符合しない点はあるけれども、原告が本件歩道橋上の機動隊員に対して二回投石したこと、投石した位置及び投石後の行動逮捕の状況などについて、右両名の供述は概ね一致するほか、逮捕後間もなく作成された現行犯人逮捕手続書、現認報告書の記載ともほぼ合致し、しかもその内容が相当程度に具体的であり、右両名とも宮沢検事の取調べに際し、投石行為現認の確実性について断言しており、これと積極的に相反する資料はなかった。そこで、犯行当時の現場の状況に照らし、警察官である甲斐、芦馬両名の供述が全体として信用できるものと判断し、原告の自白調書を除いても前記捜査資料により本件起訴について将来有罪判決を得る合理的な理由があると思料されたものと認められる。

したがって、本件刑事事件の控訴審において一審の有罪判決が破棄されて無罪判決が言渡され、これが確定したからといって、当然に原検事のした本件起訴処分が違法であったとはいえない。それゆえ原告のこの点に関する主張もまた失当であって排斥を免れない。

(四)  以上によれば、原告の被告国に対する本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

四  本件逮捕が被告東京都の公務員である甲斐、芦馬両名の職務執行行為としてなされたことは、右当事者間に争いがない。したがって、被告東京都は国家賠償法一条一項に基づき右違法な逮捕により原告に生じた損害を賠償する責任がある。

五  そこで進んで原告の損害について検討する。

(一)  原告の主張する刑事弁護費用のうち、菊池政弁護士を除くその余の各弁護士に支払った費用が本件起訴によって生じたものであることは主張自体明らかであるから、本件逮捕行為と相当因果関係がない。

また、証拠略によれば、菊池弁護士は原告の逮捕後勾留前である昭和四六年六月一八日に弁護人として選任されたことが認められるが、同弁護士に支払った費用について具体的な金額を明らかにする証拠がない。したがって、同弁護士に支払った費用の賠償を求める部分は理由がない。

(二)  次に慰謝料の請求について判断する。

(1)  原告が約二年間被告人とされていたこと、逮捕時から昭和四六年七月一四日保釈に至るまで二八日間身体を拘束されていたこと、原告は昭和四五年四月東京大学理学系大学院物理学専攻の修士課程に入学し、昭和四七年四月同博士課程に進学したことは、いずれも右当事者間に争いがない。

(2)  しかして、《証拠省略》によると、原告は同大学院において、将来筑波研究学園都市の高エネルギー物理学研究所に建設予定の大型シンクロトロンの建設準備の研究をしていたこと、右シンクロトロンが完成すれば、高エネルギー物理学研究所の職員として研究に従事することを希望していたこと、しかし甲斐、芦馬両名の誤認逮捕に起因して起訴され、審理の結果第一審では有罪判決をうけたため、心ならずも同大学院を中途退学し、物理学研究者としての志望を断念し、家業の歯科医を継ぐことにして昭和四八年四月、東京医科歯科大学に入学し、現在右大学に在学中であることが認められる。したがって、原告が本件誤認逮捕により多大の精神的苦痛を被ったことは容易に推測できる。

(3)  そこで右認定のような事情及びその他諸般の事情を斟酌すれば、当裁判所は原告の精神的苦痛に対する慰謝料として金一〇〇万円をもって相当と考える。

六  以上認定説示の次第で、原告の本訴請求は被告東京都に対し右慰謝料金一〇〇万円とこれに対する違法行為の後である昭和四八年一一月一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるからこれを認容し、被告東京都に対するその余の請求並びに被告国に対する請求は全部失当であるので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 土田勇 裁判官 鷺岡康雄 石原直樹)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例